
我如古盛次の野球人生に密着
沖縄県勢として史上初の夏の甲子園優勝、そして史上6校目の春夏連覇という偉業を2010年に成し遂げた興南高校野球部。
この歴史的な快挙を主将として牽引したのが、我如古盛次さんだ。
あれから十数年の時が流れ、今、彼の口から語られるのは、輝かしい栄光の裏側にあった知られざるストーリー。
野球人生の原点から、全国制覇を成し遂げるまでの道のりを、彼の言葉で紐解いていくインタビューコラムの第2回目。
甲子園の「異様な空気」を克服し、自分たちの野球を貫く
甲子園初出場となった2年時ノセンバツ大会には「地に足がついていない感覚だった」と語る我如古さん。
その異様な雰囲気にのまれてしまい、思うようなプレーができなかったといいます。
「甲子園に入ると、地に足がついてないというか、プレーしている時も浮いているような感じだった」と当時の異様な緊張感を赤裸々に明かし、「一瞬で結果を出せない、完全に飲まれちゃう感覚だった」と告白した。
日本一の「覚悟」がチームを変えた
新チームが発足し、選手間の投票で主将に選ばれた我如古さん。
「自分が選ばれるとは思っていなかった」と驚きを隠しませんでしたが、「リーダーシップというより、背中で努力する姿勢が評価された」と謙虚に語ります。
そして、チームは転換期を迎えます。
我喜屋監督から発せられた「てっぺん目指すぞ」という言葉をきっかけに、選手全員が「日本一の思考」へと変わったのです。
「監督の言葉を真剣に受け止め、自分の言葉でチームメイトに伝えていきました」と語るように、
我如古さんは課題を共有し、チーム全体で質の高い練習を追求しました。
その結果、「どうせやるなら、一つ上のキツさを」という意識が浸透し、チームは強固な集団へと成長していきました。
迎えた3年の2008年春のセンバツ。
目標はシンプルに「まず1勝」。
前年の悔しさを胸に、選手たちは過度な緊張に陥ることなく、自分たちの野球を貫きました。
そして、強豪校・智弁和歌山や帝京高校との大一番でも、相手の名前にひるむことはありませんでした。
「ピッチャーがどんな球を投げるか、そこにだけ集中していた」と語る言葉からは、一戦一戦を大切にする、冷静さが感じられます。
延長戦にもつれ込む激闘の末に迎えた決勝戦。
日大三高を破り、見事甲子園優勝を果たしました。
「やってきたことは間違っていなかったと、全員で確認できた瞬間でした」と、喜びを噛みしめるように語ります。
沖縄に帰ると、チームを待っていたのは熱狂的な大フィーバーでした。
その時の感動は「今でも忘れられない」と目を細めます。
甲子園での優勝経験は、我如古さんのその後の人生にも大きな影響を与えました。
「何事も継続が大事」という言葉に、野球で培った揺るぎない信念が込められています。
第3話に続く>>>