
前田幸長の野球人生に密着
星野仙一の金言が、前田幸長のプロ意識を覚醒させる
元プロ野球選手で現在は都筑中央ボーイズの会長を務める前田幸長氏。
ロッテでの「暗黒時代」を振り返りつつも、そこで得た経験がその後の野球人生に大きく活きたと語る。
しかし、順風満帆なプロ生活が続いたわけではない。自身の投球フォームを見失い、成績不振に喘いだ時期があった。
「自分で投げていたまっすぐが投げれなくなった。今考えると投げ方をミスってた」と当時を振り返る前田氏。
試行錯誤の日々が続く中、彼は大きな決断を下す。それは、自ら球団にトレードを直訴することだった。
そして、その願いが叶い、彼の野球人生は新たな局面を迎える。
移籍先は、闘将・星野仙一氏が監督を務める中日ドラゴンズ。この移籍が、前田幸長のプロ野球人生を大きく変える転機となる。
中日での日々は、星野監督による「星野流」の厳しい指導の連続だった。
「パ・リーグの野球じゃねーんだから、エイヤーって投げてんじゃねぇ。自分が投げる球種すべてストライク取れるようになれ」
星野監督から投げかけられたこの金言は、前田氏の投球術に対する意識を根本から覆したという。
それまでの勢い任せな投球から一変、緻密なコントロールと、あらゆる球種でストライクを取れる技術の習得に励んだ。
「劇的に変わりましたね」と語るように、この指導が彼の投球スタイルを大きく進化させた。
先発からリリーフへの転向
さらに、前田氏は自身の適性を見極める。
先発として苦しむ中で、彼は自らリリーフへの転向を志願する。
「俺は短いスパンでぎゅっと投げていく方が自分の性格上に合ってる」。
この決断が功を奏し、彼はリリーフとして成功を収める。
そして、1999年には中日ドラゴンズのリーグ優勝に大きく貢献。
「リリーフも先発も両方できるのが俺だからできること」と、自身の存在価値を確固たるものにした。
この頃から、前田氏のプロ野球選手としての意識は大きく変化していく。
「自分の成績を上げればいいという時代から、優勝のために自分が何を身につけるべきなのか考えるようになった」。
星野監督との出会い、そしてチームの勝利のために貢献するという意識が、彼のプロ野球人生における本質的な意味を気づかせたのだ。
「星野さんが優勝するための駒になるには、自分が変わらなければいけなかった」。
チームの勝利のために、自分は何ができるのか。
前田幸長氏がプロ野球選手として真の覚醒を遂げた瞬間だった。
しかし、彼の挑戦はこれで終わるわけではない。激動のプロ野球人生を歩んだ前田氏が、引退後、次なる舞台で何を追い求めるのか。
そして、未来を担う子どもたちへの熱い想いとは――。