
浦和学院野球部 森大監督の野球人生に密着
【浦和学院・森大監督】名将の父から受けた“非情な通告”「能力が一緒なら使わない」―“浦学”を最も知る男の原点《第1話》
全国屈指の高校野球の名門、浦和学院。その伝統のユニフォームに袖を通し、チームを率いる若き指揮官、森大監督。
彼の野球人生は、常に「浦和学院」と共にあった。
偉大なる名将であり、実の父である森士(おさむ)前監督の背中を追い、その厳しさの中で育った彼は、まさに“浦学”を最も知る男と言えるだろう。
今回、我々はその知られざる野球人生の深層に迫った。
華やかな経歴の裏に隠された苦悩、そして父との特別な関係性。
森監督が語った「原点」には、想像を絶する覚悟があった。
「家とグラウンドの顔は違う」― 入学時に突きつけられた現実
「物心ついた時から、甲子園に連れて行ってもらっていました。だから、自分もこのユニフォームを着て野球をやりたいと。そう思うのは自然な環境でしたね」
幼少期から浦和学院野球部は、森監督にとって憧れそのものだった。しかし、その門を叩いた彼を待っていたのは、夢見ていた世界とは少し違う、厳しい現実だった。
監督であり父である士氏から、入学時に直接、こう宣告されたという。
「いいか、能力が同等レベルの選手がいたら、お前のことは使わない。周りはお前を特別に見ているんだから、俺は優しくできないぞ。覚悟を持って来なさい」
それは、父から息子へ送るエールなどではない。
監督が、一人の選手に突きつけた“非情な通告”だった。
「家で見る父の顔と、グラウンドで見る監督の顔は全く違いました。そのギャップに戸惑った部分もあります」と、当時を静かに振り返る。親子であるというアドバンテージは一切ない。むしろ、それは乗り越えるべき最も高い壁として、彼の前に立ちはだかった。
消防士並みの朝練と肉体改造。非エリートの生存戦略
その言葉を裏付けるかのように、浦和学院の練習は苛烈を極めた。
「とにかく練習が厳しくて…。
特に浦学の伝統が朝練なんです。朝5時台から毎日10km走って、サーキットトレーニング、綱のぼり…。
今思えば、消防士並みの鍛錬でしたね」
しかし、才能溢れる選手たちが集う名門において、森監督は決してエリートではなかった。
「入学当初は体重も60kgなくて、体も細い方。もちろん中心選手でもありませんでした」。
このままでは、父の言葉通り試合には出られない。
生き残るために彼が選んだのは、地道な努力と徹底した自己分析だった。
「まずは体作り。徹底した食トレで、1年間で10kg体重を増やしました。体ができてきた2年目から、ようやく技術が追いついてきた感覚です。常に『今の自分はチームの中でどの位置にいるのか』という自己認知を大切にしていました」
厳しい環境にただ耐えるのではない。自らを客観視し、課題を設定し、一つずつクリアしていく。
その冷静な姿勢こそが、激しい競争を勝ち抜くための、彼だけの武器だったのだ。
血の滲むような努力の末、彼はレギュラーの座を掴み、憧れ続けた甲子園の土を踏む。
しかし、それは彼の野球人生のゴールではなかった。
過酷な選手時代を乗り越えた彼を、指導者としてさらに大きな試練が待ち受けることになる。
父から受けた厳しさの意味を、彼は監督という立場でどう理解し、自らの「超攻撃野球」に繋げていったのか――。
第2話に続く>>
 
							
											






 
                         
                         
                         
                         
                         
                         
                         
                        




