
我如古盛次の野球人生に密着
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【興南・春夏連覇の真実】主将・我如古盛次が語る栄光と慢心「練習させてもらえず草むしりを…」野球人生の終着点《第3話》
沖縄県勢初の甲子園・春夏連覇という金字塔。その中心には、常に主将・我如古盛次の姿があった。
しかし、栄光への道は決して平坦ではなかった。
最終話となる今回は、春のセンバツ優勝後にチームを襲った最大の危機、そして野球と共に歩んだその後の人生、故郷・沖縄への想いに迫る。
「根っこ作りから始めよう」― 優勝の熱狂と“天狗の鼻”
センバツ優勝。日本一の称号は、興南ナインに歓喜と共に、見えざる敵をもたらした。
「優勝してメディアにも沢山取り上げられて…。正直、みんな少しフワフワして、色気づいていた部分はあったと思います」と我如古さんは苦笑する。
そんな浮かれた空気を一変させたのが、
我喜屋優監督の「春に桜が咲くのは、見えない根っこがしっかり張っているからだ。春に花が咲いた今こそ、もう一度夏に向けて根っこ作りから始めよう」という言葉だった。
この言葉でチームは我に返り、再び夏を目指す決意を固めたという。
だが、一度生まれた慢心は簡単には消えない。我如古さん自身も、監督から厳しい叱責を受け、練習への参加を禁じられた日々があった。
「チームを離れて、地域の草刈りやゴミ拾いを命じられました。その時に気付いたんです。
『仲間と思いっきり練習できることは、決して当たり前じゃないんだ』と。
心の底から反省しましたし、あの経験がなければ、夏の優勝は絶対にありませんでした」
グラウンドから離れたことで、彼は野球ができることへの感謝と、主将としての責任を改めてその胸に刻み込んだ。
“流れを読む力”で掴んだ深紅の大優勝旗
一度は砕け散りそうになったチームは、より強固な一枚岩となって再び甲子園へ帰ってきた。
準決勝の報徳学園戦、序盤に5点を奪われる絶体絶命の展開。
だが、チームは揺るがなかった。
「普段とは違う苦しい雰囲気の中、粘って6対5で逆転できた。あれが本当に大きかった」。
東海大相模との決勝戦。
世代最強投手との呼び声も高かった一二三(ひふみ)慎太投手を擁する強敵を前にしても、興南ナインに焦りはなかった。
「中盤のワンチャンスをものにする集中力。『ここで行くぞ』という時の流れを読む力が、僕らのチームにはありました」
春の王者から、真の王者へ。一度地獄を見たチームだからこそ持ち得た、驚異的な勝負強さだった。
甲子園の先へ。プロに行かなかった野球人生
高校野球の頂点を極めた我如古さんだが、「プロという最終地点に、強い執着はなかった」と明かす。
立教大学、そして社会人野球の強豪・東京ガスへと進み、野球を続けた。
「大学、社会人と進む中で、プロに行くような一線級の選手たちとの差は痛感しました。
でも、アマチュア球界の最高峰でプレーできたこと自体が、僕にとっては大きな財産です」
誰もが羨む結果を残しながらも、自分の立ち位置を冷静に見つめる。
その視線は、高校時代に培った自己分析力と何ら変わっていなかった。
激動の野球人生を歩み終え、今思うこと。
「地道に目標を立てて一歩ずつ進む大切さ、そして仲間の協力が大きな力になることを学びました。
この経験を、いつか地元・沖縄への恩返しという形で活かせたら」。
最後に、彼は一点の曇りもない笑顔でこう締めくくった。
「高校で春夏連覇もできた。もう悔いはありません。僕の野球人生には、大満足です」
我如古盛次さんの野球物語は、これからも多くの球児たちの道しるべとなるだろう。