
土井健大の野球人生に密着
2025年夏、第107回全国高校野球選手権大阪大会、大阪桐蔭を破り、14年ぶり夏の甲子園出場を決めた東大阪大柏原高校。
率いる土井健大監督の野球人生を辿るインタビューコラム、第3話。
今回は、高校での活躍からプロ入り、そして指導者としての土台を築くまでのプロ野球選手時代の苦悩に焦点を当てます。
甲子園後の「燃え尽き症候群」。天狗になった高校時代
土井監督は、履正社高校時代に初の甲子園出場を果たした当時の心境を語りました。
選抜大会で強豪・横浜高校と対戦した際、「岡田監督から『ビデオ見とけ』と言われて急遽研究したけど、凄すぎて呆然とした」と明かします。
しかし、試合は1-0という僅差での惜敗。
「あのチームと戦い抜けたことで、自分たちは充分だと思った」と振り返り、目標達成後の燃え尽き症候群に陥ってしまったことを告白しました。
2年生でホームラン37本という驚異的な成績を残し、「プロにも入れるだろう」と慢心してしまったという土井監督。その結果、3年生では「もう終わりたい」という気持ちが先行し、ホームランはわずか1本に激減しました。この苦い経験が、後の野球人生に大きな教訓を残すことになります。
1000万円の投資詐欺、過酷な減量…それでもプロは「授業料」
2006年、高校生ドラフト5位でオリックスに入団。
念願のプロ入りを果たした土井監督ですが、入団当初から波乱の連続でした。
スカウトの挨拶に間に合わせるために、骨折した足のギプスを自ら外して練習に臨んだという気合のエピソードを披露する一方で、過酷な減量や食物アレルギーにも苦しみます。
「1年で体重が30キロ落ちて、メンタル的にも追い詰められた」と、プロの世界で味わった苦悩を赤裸々に吐露。
「野球が全然面白くない」と感じた時期もあったといいます。
さらに、プロ在籍中には投資詐欺に遭い、1000万円近い大金を失ったことも告白。
しかし、土井監督は「プロ野球選手になれたことは夢であり、授業料みたいなもの」と前向きに捉えています。
自身の経験から、「甲子園やプロを経験したからこそ、今の人生観や指導者としての自分がある」と語る土井監督。
挫折や失敗の全てが、現在の財産となっていることを強調し、インタビューを締めくくりました。
次回は最終話。土井監督が指導者となり、東大阪大柏原高校の監督としての想いに迫ります。
第4話に続く>>>