
福森大翔の野球人生に密着
元大阪桐蔭野球部で、森友哉選手(現・オリックス・バファローズ)と同世代として活躍した福森大翔さん。
順風満帆に見えた彼の野球人生は、突然の病によって大きく変わりました。
今回は、希少がんと闘う福森さんの壮絶な日々、そして彼が見出した新たな目標に迫るインタビューコラム最終話です。
突然の病魔、希少がんとの闘いの始まり
高校時代には甲子園常連校の明徳義塾との対戦を経験し、卒業後は立命館大学へ進学。
大学野球でも挑戦を続け、その後は中学野球の指導者として新たな道を歩み始めた福森さん。
自身の進路選択を「立命館大学ってめっちゃ響きがよかった。かっこいいなって思ったんで立命館大学行きたいです」と直感で決めたと明かすように、常に自身の心に正直に進んできました。
大学卒業後、中学野球の指導者への道に進む。
「基本的に押し付けというよりは中学生の意見を尊重しながら、コミュニケーションを取るというのは僕ものすごく大事だなっていうのが本当に思った」と語り、若い世代との対話を通じた成長を重視する指導観を強調していました。
そんな充実した日々を送っていた福森さんを病魔が襲ったのは、中学チームの卒団式の日でした。
激しい腹痛で救急搬送され、検査の結果、胃の裏に2つの腫瘍が見つかります。
告知を受けた時の心境を「先生と両親と並んでドラマみたいな状況で、『腫瘍です』って言われて、最初は実感がなかった」と振り返る福森さん。
その後、「10万人に一人」という希少がんであることを知り、大きな衝撃を受けます。
「より一層、受け入れられなくて…結構辛くて。でも家族に支えられた」と、当時の苦悩を赤裸々に打ち明けました。
希少がんと診断された福森さんは、医師と共に試行錯誤を重ねながら治療を続けてきました。
しかし、再発と転移を経験し、「もう治療も限界を感じて、これからは寿命を延ばすことしかできないと言われた時に『これって自分の人生だよな』って思って前向きになった」と、生き方の転機について打ち明けます。
「リアルに死を突き付けられて、そこで自分本当に変わりました」と、その心の変化を明言しました。
現在、福森さんは「同じ病気の患者に希望を与えたい」という強い思いから、クラウドファンディングを立ち上げ、インターネットを通じた支援を呼びかけています。
彼の挑戦は、多くの人々に勇気を与えています。
健康の尊さと感謝の気持ちを伝えるために
「やっぱり健康じゃなかったら何もできない。本当に健康が一番大切だなと気づいた」と語る福森さん。
その思いを「一人でも多くの人に伝えていきたい」と、健康の尊さを発信することが、彼の新たな目標です。
「本当にいろんな人に支えられて今生きている。本当に野球やっててよかった」と、周囲への感謝を込めて語った福森さん。
その言葉の最後には、「健康の大切さや周りへの感謝を届けていきたい」という強いメッセージが込められていました。
福森さんの生き方は、私たちに「生きる」ことの意味、そして「健康」と「感謝」の重要性を改めて教えてくれます。