
ダースローマシュ匡の野球人生に密着
岡山の強豪、関西高校へ進学
生駒シニアで才能を開花させたダースローマシュ匡氏は、数々の強豪校からの誘いを受ける中、名門・関西高校への進学を決意する。その背景には、彼自身の強い覚悟があった。
「40校ほどのスカウトが来ていた中で、関西高校の監督に『5回甲子園に連れて行きます』と伝えたんです」
その言葉には、並々ならぬ決意が込められていた。
名門校での生活は、ダース氏にとって新たな挑戦の連続だった。
「関西高校では、監督にそう言った手前、なんとか期待に応えたかった」
甲子園という目標に向かって意欲を燃やす一方で、厳しい練習や上下関係といった壁にも直面した。
「監督が先輩に『ダースをいじめたら辞めさせる』と言ったらしいんですけど、それが逆に先輩の目を気にすることになってしまって…」当時の複雑な心境を、彼は率直に語る。
一気にプロ注目選手に
周囲からのプレッシャーを感じながらも、ダース氏はひたむきに努力を続けた。
彼は、「その後は、とにかく実績を作ることに励みました。
高校1年生の夏はベンチ入りできず、新チームの秋になってから背番号11番をもらった。
この頃はまだ球速は上がっていなかったが、冬の期間に体幹トレーニングなどに取り組み、
球速が10km/h以上アップ。
高校2年生の春には大阪の近大附属高校との練習試合でスカウトが見守る中、138km/hを記録し完封勝利。
スカウトからの評価が急上昇しました。
2年生の夏には自信をつけて多くの試合に登板。
夏の県大会決勝では玉野光南高校を相手に先発。
好投手・景山の前に8回まで関西打線はノーヒットノーランと沈黙。
味方の援護もありながら、延長10回を粘り強く投げ抜きサヨナラ勝利。
「あの試合は自分で褒めたかった」と振り返る。
この試合で自身の成長と粘り強さを実感した。