
グェン・トラン・フォク・アンの野球人生に密着
伝説の激闘、花咲徳栄戦の裏側
2003年センバツ準々決勝、東洋大姫路のエースとしてマウンドに上がったアンさんは、花咲徳栄との壮絶な延長15回引き分け再試合という、高校野球史に残る名勝負を繰り広げました。
試合前は「ゼロに抑えれば負けない」という強い気持ちで臨んだと振り返ります。
「前半はヒットを打たれながらも野手に助けられていたけど、後半から体が温まってきてコントロールも良くなった」と。
想像もしなかった延長15回、必死で投げ抜いた先に待っていたのは、試合が終わった瞬間に押し寄せたという疲労感でした。
エラーで失点した際には「本当だったらめちゃくちゃ切れるんですけど、キャプテンなのでそれを抑えて笑ってました」と、当時の心境を明かしました。
翌日の再試合も、疲労困憊の中で迎えます。
肩に違和感を覚え、先発は回避したものの、「いざという場面では投げる覚悟はあった」と語るアンさん。
再試合も高校野球甲子園大会で春夏通じて初の延長戦にもつれ込む激闘に。
結果的に東洋大姫路がサヨナラ勝ちを収め準決勝進出を果たしますが、
「2日で25イニングは人生初。次戦の相手が休養していた分、こちらは疲れが取れずに戦意喪失していた」と、過酷な日程と疲労がピークだったことを吐露。
「もともと1回戦、2回戦勝てればいいと思っていたし、ポンポン勝ち進んで優勝も狙えたらという話もあった。でももう無理でしたね」と、本音を漏らしました。
苦悩の夏、そしてプロへの想い「ドラフト上位以外…」
センバツでの活躍でその名を再度全国に轟かせたアンさんでしたが、夏の大会では度重なるケガに苦しみます。
「全部しんどかった。夏前にヘルニアになり痛み止めや注射を打ちながらファーストを守ることも多かった」と、体調面での苦労を明かしました。
それでも順調に勝ち進んだ東洋大姫路でしたが、兵庫県大会決勝で神港学園に敗退。
「負ける要素は全く感じてなかったが、相手投手が良すぎて打てず、自分も最後にホームランを浴びた」と、高校野球最後の夏の苦い思い出を語りました。
センバツでの活躍、そしてスカウトの注目を集める中、アンさんの進路は大きな関心事でした。
「プロに行きたい気持ちはあったし、グラウンドにはスカウトも来ていた」とプロへの想いを明かしつつも、
「ドラフト上位以外プロ行かないと公言していた」という驚きの事実を打ち明けます。
当時東洋大姫路の藤田監督からも「上位でなければダメ」と言われていたこともあり、下位指名ならプロには進まない覚悟だったと赤裸々に語りました。その真相は動画にて話していただいてます。
最終的にプロ志望は叶わず、社会人野球の名門・東芝へ進む決断を下したアンさん。
次回、社会人野球での挑戦、そしてその後の道のりについて語っていただきます。
第四話に続く>>>