【第二話】元大阪桐蔭OB福森大翔 春夏連覇の次の代と言われ、重圧との戦い

福森大翔の野球人生に密着

現在、希少がんと懸命に闘病中の元大阪桐蔭野球部福森大翔さん。

彼の波乱に満ちた野球人生を辿る特集、第2回となる今回は、多くの球児が憧れる甲子園での経験、そして大阪桐蔭高校での濃密な日々について深く掘り下げていきます。

大阪桐蔭、春夏連覇後の葛藤と努力の軌跡

福森さんが大阪桐蔭高校2年生時、1学年上の藤浪晋太郎投手を擁し、春夏連覇という偉業を成し遂げた先輩たちがいました。
福森さんは、ボールボーイとして、そしてスタンドから、戦いを見届けたと言います。

「選抜で優勝するのもすごいことですが、先輩たちは優勝がゴールではなく、夏に向けてすぐに切り替えていました。
優勝はあくまで通過点なんだと。常に高みを目指す大阪桐蔭の雰囲気を肌で感じましたね」と、当時の衝撃を語る福森さん。
先輩たちが皆、同じベクトルを向いていたことに驚きを隠せなかったそうです。

一方で、偉大な先輩たちの背中を追いかける重圧も相当なものだったと明かします。
「自分たちは春夏連覇の先輩を見て、『自分たちもやらないと』というプレッシャーが大きかったです」
西谷浩一監督との日々の「野球ノート」を通じた指導で、「自分たちにはまだ基礎が足りない」と常に指摘されていたと言います。

しかし、その厳しい言葉こそが、チームを少しづつ成長させていったのです。

チーム内での競争もまた、大阪桐蔭の強さの源でした。
「チーム内は常にメラメラしていましたね。誰かが打っても内心では『もう打つなよ』と思うほど、皆がライバル心を燃やしていました」と、そのリアルな舞台裏を吐露してくれました。

福森さん自身も、度重なる怪我に苦しみました。
しかし、地道なリハビリを乗り越え、ついに甲子園の舞台にスターティングメンバーとして立つ夢を実現します。
「スタンドから見ている時の気持ちと、実際にグラウンドで立った時の気持ちってこんなに違うんだなと実感しました」と、夢の実現がもたらした感動を噛みしめます。

しかし、選抜ではキャプテン森友哉選手の怪我もあり、チームはベスト16で敗退。
「自分たちの代は強くないんだ、と痛感しました」
敗退後、西谷監督からは「先輩の歴史が大阪桐蔭を作っているだけで、お前たちは弱い。足元を見直してしっかり私生活や練習に取り組みなさい」と厳しい檄が飛んだと言います。
「大阪桐蔭の看板で野球をしていた自分たちだった」と振り返る福森さん。
この敗戦を糧に、チームは改めて危機感を持ち、一丸となって再起を誓ったのです。

厳しい大阪大会、そして春の大会での敗戦も経て、最後の夏を迎えます。
福森さんは「夏はもう最後。キャプテンだけに優勝旗を返させるわけにはいかない」と新たな決意を胸に、厳しい戦いを勝ち上がっていきます。「大阪大会決勝では、勝てた時の嬉しさとホッとした気持ちが入り混じっていました」と、その時の率直な思いを口にしました。

甲子園では、自身もサヨナラヒットを放つなど、チームの勝利に貢献。
「チームが勝つのが一番でした。自分の結果より勝利が嬉しかったですね。スタンドへの挨拶で祝福の声が聞こえた時、本当に嬉しかった」と、当時の嬉しさを語ってくれました。
負けや挫折を経験し、「自分たちは弱い」と自覚したからこそ、最後の一打や勝利に繋がった――福森さんの野球人生を象徴する言葉が、深く胸に響きます。


挫折を乗り越え、甲子園という夢舞台で輝きを放った福森さん。しかし、そんな彼の野球人生には、この後も過酷な試練が待ち受けていました。次回、最終回では大学野球、指導者生活と順風満帆の野球人生を送る最中に襲った希少がん、病魔との闘い、そして今伝えたい想いについて、さらに深く迫ります。


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