【第一話】元大阪桐蔭OB福森大翔の「不屈の魂」|壮絶な野球人生とステージ4からの挑戦

福森大翔の野球人生に密着

エリート集団大阪桐蔭、葛藤と努力の軌跡

元大阪桐蔭高校野球部OBの福森大翔さん。
彼が歩んできた道のりは、まさに波瀾万丈という言葉がぴったりです。
中学・高校時代、甲子園出場という大いなる夢を仲間と共に追いかけ、切磋琢磨した野球人生。
そして29歳で直面した、「希少がん」ステージ4という過酷な現実。
この連載では、福森さんの壮絶な日々を全3話にわたって深掘りしていきます。

「3年前から希少がんと戦っておりまして、昨年にリンパと肝臓に転移してしまって、ステージ4になってしまったんです」。

静かに、力強く語り始めた福森さん。
想像を絶する病状にもかかわらず、彼の瞳にはどこか野球への情熱が宿っているようでした。
今回、私たちはそんな福森さんの幼少期からの野球人生に密着。知られざるエピソードの数々を紐解いていきます。

憧れの大阪桐蔭へ、そして森友哉選手との出会い

福森さんの野球人生の原点には、名門・大阪桐蔭高校への強い憧れがありました。
中学時代に所属した都島ボーイズの先輩に背中を押され、大阪桐蔭への進学を決意。
「ずっと地道に練習を重ねていて、やっと大阪桐蔭に行けた」と当時を振り返ります。

同世代には、現在オリックス・バファローズで活躍する森友哉選手がいました。
“エリート集団”と称される大阪桐蔭野球部で、すごいメンバーと共に戦った日々は決して平坦ではありませんでした。
「本当に名だたるメンバーの中で、あんなところに来てしまったなって思いました」と、その厳しさを率直に語る姿が印象的でした。

野球少年としての道のりは、常に順風満帆だったわけではありません。
小学校時代は「チーム自体あまり強くなかったけど、野球って楽しいなと思ったのがきっかけ」と、純粋な野球への喜びが彼の原動力でした。ラガーマンだった父親からはラグビーを勧められたこともあったそうですが、「好きなことをやってくれたら」という温かい言葉に背中を押され、野球一本に専念することを決意します。

「センスとかないタイプだったので、量をどんだけこなすかしかなかった」。
福森さんは、ひたすら泥臭く、努力を積み重ねることで自身の野球を磨き上げていきました。

大阪桐蔭での葛藤と成長、そして甲子園への思い

高校時代、福森さんの前に立ちはだかったのが、やはり同級生の森友哉選手でした。
「キャッチャーは友哉がいたので、外野手へコンバート。自分の居場所を懸命に探しました」と、レギュラー争いの厳しさと葛藤をにじませます。

大阪桐蔭名物の厳しい冬練習、そして一つ上の世代、藤浪晋太郎投手らを擁してセンバツ優勝を飾った代での経験も彼を大きく成長させました。甲子園の舞台ではボールボーイとしてグラウンドの土を踏むも、メンバーではない悔しさも味わいました。
しかし、その悔しさが福森さんをさらに強くしたのです。
「悔しさもあり、だからこそ帰って練習したり、もう一回ここでプレーしたいと思った」。

彼の不屈の魂は、この高校時代に培われたと言っても過言ではありません。


第2話に続く>>>

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