【第一話】前田幸長 「井の中の蛙でしかなかった」濃厚すぎる野球人生を紐解く

前田幸長の野球人生に密着

無名から甲子園準優勝、ドラフト1位の幼少期

元プロ野球選手であり、都筑中央ボーイズ会長を務める前田幸長氏が、その波乱に富んだ野球人生を語るインタビューコラム。
今回は、地元での無名時代からドラフト1位でプロへと駆け上がった道のりを紐解きます。

福岡県出身の前田氏は、「気づいた時にはもう左投げ。父親がキャッチャー代わりになって、
年長か小学1年生でキャッチボールを始めた」と、野球との出会いを振り返ります。

小学校3年生で学童野球チームに入り本格的にスタートを切ったものの、
当時の練習は「昭和ゴリゴリの練習で、楽しいと思ったことはない。練習は嫌々やってました。どこで抜こうか考えてサボった時期も」と、その厳しさと素直な本音を明かしました。
しかし、そんな中でも「でも自分はプロ野球選手になると決めていました。
『なりたい』じゃなく『なる』と決めてた。主役に憧れる性格なので」と、幼い頃からの揺るぎない決意を力強く語ります。

中学時代は「本当に白紙。年功序列で2年の秋まで試合にもほとんど出ていなかった。小学生の頃の仲間がほぼそのまま進学してきたけど、急に先輩後輩の壁ができる時代で戸惑いも多かった」と、当時の風潮を語りつつも、
「中学・高校で1回ずつノーヒットノーランをやった」と、その才能の片鱗を見せていました。
さらに「自分は体が細くて小さい方だったが、KOされた記憶も、ストライクが入らない記憶もない。体が小さいから抑えられないとは思わなかった」と、どんな状況でも臆することなく、自信に満ち溢れていたことを覗かせます。

井の中の蛙から甲子園準優勝投手へ

「地元では名の知れたピッチャーだったが、スカウトが来るほどではなかった。
『井の中の蛙』でしかなかったけど、行きたい高校(福岡大大濠)があっても特待で誘われることはなかった。
実際に進んだ福岡第一高校では“Bランク”特待での入学だった」と、進学の裏事情も明かした前田氏。

しかし、この選択が彼の運命を大きく変えることになります。
「自分が一番伸びる場所を選ぶほうが正解だったと思う。結果として甲子園準優勝やプロ入りのきっかけになった」と、冷静に自己分析しました。

高校1年の夏には、憧れだった強豪・福岡大大濠との練習試合で「7-0完封勝利」を挙げ、エースの座を不動のものに。
体格や相手の名前にひるむことは一切なく、「大きいから圧倒されることはなかったし、負ける気もしない」と語る姿は、
まさに未来のプロ野球選手を予感させるものでした。

自身の野球哲学について、「どんな環境でも、自分で決めた夢に向かってやり抜くことが一番大事。『楽しい練習なんて1回もなかった』けど、諦めなかったから今の自分がある」と語る前田氏。

しかし、前田氏の野球人生には、まだまだ多くのドラマが隠されています。
福岡第一高校で、師匠との出会いで一気に才能が開花したという才能開花の裏側、そして甲子園準優勝の舞台で何があったのか――。

第二話に続く>>>

おすすめの記事