
ダースローマシュ匡の野球人生に密着
聖地での“余裕”と、幼き日の記憶
高校3年時、夏の大会直前に肩の怪我を完治させるも
「最後の夏は、ほぼぶっつけ本番で投げていました」と当時を振り返る。
岡山県大会はチームのエースとしてマウンドに立てない焦り、そして後輩投手への複雑な思いがあった。
甲子園初戦でも先発を後輩に譲り、途中から登板するも結果を出せず敗退。
「何もできんかったなっていう悔しさがすごいありました」と、
仲間への感謝と、何もできなかった自分への不甲斐なさを語った。
夢のプロ入り、そしてダルビッシュとの出会い
「プロが一番の目的でしたけど、高校の監督にも『ちょっと難しいかもしれない』って言われて…」。
それでも、ダース氏はプロの扉を開いた。
北海道日本ハムファイターズに入団後、彼はプロの世界の洗礼を受ける。
特に印象的だったのは、ダルビッシュ有投手との“コンビニ爆買い”エピソードだという。
「俺らこれからどうなっていくのか、明日は何が起きるの?みたいな(笑)」
プロならではの豪快さと、想像を超えるスケールに、当時の興奮と驚きを隠せない様子だった。
しかし、プロの世界は甘くなかった。
怪我の連続に泣かされ、思い描いたような活躍はできなかった。
「プロ野球選手になれたことは、もうすごい誇りですし、いい経験させてもらったなと思うんですけど、
どっちかっていうと僕はラッキーだったんだなぐらいで」。
謙虚な言葉の裏には、怪我に苦しんだ自身のプロ野球人生に対する、複雑な心境が垣間見える。
そして、戦力外通告後、ダース氏に投げかけられたダルビッシュ投手からの言葉は、彼の心に深く刻み込まれている。
「まぁクビやろな。お前は二流やったわけやん。一流になれんかった。次はどっかのタイミングで一流になれるよう、頑張れよ」。このストレートな言葉に、彼は当時の衝撃を隠せない。
「同情じゃなく、現実のすごい大事なことをっていう話をしてくれたんやろうな」。
プロの厳しさ、そしてその中に込められた先輩の優しさと期待を、彼は今も噛み締めている。
新たな挑戦へ、そして“野球人生”への誇り
「野球をやってきてよかったっていう、そういう野球人生に変えていきたい。野球辞めてからもすごくいいんだっていう風に変えていきたい」。ダース氏の言葉には、未来への強い決意が宿っている。
今後は少年野球の指導や、野球を軸にした新たなプロジェクトにも意欲を見せているという。
彼の野球人生は、決して順風満帆ではなかったかもしれない。
しかし、その経験すべてを糧にし、次へと繋げていく。
ダースローマシュ匡という男の、新たな“野球人生”は、まだ始まったばかりだ。