【第1話】”浪速のミニラ”元プロ、豪快な男が甲子園を掴むまで。東大阪大柏原 土井健大監督の野球人生に迫る

土井健大の野球人生に密着

第107回全国高校野球選手権大阪大会で、東大阪大柏原高校が延長タイブレークの激戦を制し、強豪・大阪桐蔭高校を破って14年ぶり2度目の夏の甲子園出場を決めました。

この快進撃を率いたのが、元プロ野球選手で、東大阪大柏原高校土井健大監督です。
そんな土井監督の豪快で波乱万丈な満ちた野球人生に迫り、指導者としての哲学を育んだルーツを紐解いていきます。

「プロになるのは当たり前」。やんちゃな野球小僧の原点

兵庫県芦屋市で生まれ育ち、三人兄弟の末っ子として幼少期を過ごした土井監督。

「両親が共働きだったため、兄弟で協力して生きてきた」と語るように、小学生ながら自炊もこなし、自由な環境で育ちました。
当時の家庭の方針は「出てきたものは残さない」
そのおかげか、幼少期から体格に恵まれ、少年野球ではその大きな体格から「ドカベン」と呼ばれていました。

しかし、野球を心から好きだったわけではなく、「土日は兄と親父に連れて行かれるだけ」と当時を振り返ります。
遊ぶことの方が好きだったという正直な気持ちを明かしながらも、
一方で「周りと比べて体の大きさも飛び抜けていたし、プロ野球選手になるのは当たり前」と揺るぎない自信を持っていたといいます。
やんちゃな性格で、ポテトチップスの取り合いが喧嘩の発端になることも。
リーダーとして仲間を率い、リスペクトや義理人情を恩師から学んだ少年時代は、まさに土井監督の原点です。

“人の縁”が人生を変えた

「野球でおだてられていた時が一番承認欲求が満たされた」
やんちゃでありながら、グラウンドでは結果を出すことに喜びを感じ、圧倒的な存在感を放っていました。
そんな土井監督の強気な性格を物語るエピソードがあります。

小学6年生の時、履正社高校の選手だった兄の応援で訪れた夏の大阪大会決勝戦。
履正社高校・岡田監督(現・東洋大姫路監督)に対し、「なんで負けたん?俺獲れよ。PL倒して甲子園連れていったる」と強気な発言をしたといいます。
「今でも先生に『ほんま生意気やった』と言われる」と笑いながら明かすその姿は、当時から変わらぬ豪快さを感じさせます。

「人との出会いやご縁が人生を変えた」と語る土井監督。
指導者となった今も、その信念は変わることなく、選手たちに伝え続けているといいます。

第2話に続く>>>

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