
【元ロッテ・大嶺祐太氏】「甲子園に行って、野球辞めようか」/石垣島からセンバツ甲子園へ《第1話》
2006年、日本中を熱狂の渦に巻き込んだ石垣島からの快進撃。最速151キロの直球を武器に甲子園を沸かせた元プロ野球選手・大嶺祐太氏が、YouTubeチャンネル『アオバラch 〜野球密着ドキュメンタリー〜』に出演し、これまでの野球人生を赤裸々に語ってくれました。
全3回でお届けするインタビューコラムの第1回は、一度は失いかけた野球への情熱、運命を変えた「あの一戦」、そして日本中が驚いたドラフト会議の裏側に迫ります。
輝かしい中学時代と、高校入学時の絶望。「プロなんて絶対に無理だと思った」
沖縄県・石垣島で生まれ育った大嶺氏は、中学時代からすでに全国区の選手でした。世界大会で3位に輝き、全国大会でも優勝を果たすなど、誰もが羨むエリート街道。順風満帆に見える野球人生ですが、高校進学時に思わぬ壁にぶつかったと明かします。
「高校に入学して周囲のレベルの高さを目の当たりにしたとき、『プロ野球選手になるなんてまず無理だし、甲子園に行くのも無理だ』って思ったんです」
全国クラスの実力を持っていたはずの少年が感じた、想像以上のレベルの差。この時、大嶺氏の心の中から野球への情熱がふっと薄れてしまったと言います。後のスター選手であっても、決して平坦な道のりではなかった。
野球への情熱を再燃させた「センバツでの敗北」と、戸惑いのドラフト会議
一度は「甲子園に行ったら、もう野球を辞めよう」とまで思い詰めていた大嶺氏。しかし、そんな彼の運命を大きく変えたのが、高校3年生の春に出場したセンバツ甲子園での「横浜高校戦」でした。
「高校までの野球人生の中で、一番悔しかった」
そう振り返る激闘での敗北が、消えかけていた心の炎に再び火をつけます。「本当だったら甲子園に行って野球を辞めるはずだったのに、あの悔しさだけが夏の甲子園まで忘れられなかった。もう1回、横浜と試合がしたいっていうのはずっと思っていました」。この強烈な執念が、夏の甲子園でのさらなる躍進、そしてプロの世界へと彼を突き動かしていくのです。
そして迎えた運命のプロ野球ドラフト会議。千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けた瞬間の心境を、大嶺氏は笑い交じりにこう振り返りました。
「まず、『なんで?』っていう感じでした(笑)。『あれ? ホークスじゃなかったの?』って戸惑いましたね」
当時、相思相愛と見られていた球団以外の強行指名に対する、あまりにも率直な本音。決してロッテが嫌いだったわけではなく、「僕自身、ロッテの情報が何も分からなかったから」という、情報不足からくる石垣島の高校生らしい純粋な驚きだったと当時の裏側を明かしてくれました。
挫折、執念、そして驚き。劇的な高校時代を経てプロの門を叩いた大嶺祐太氏ですが、そもそも彼が野球を始めた「意外なきっかけ」とは何だったのでしょうか。引退後、彼が新たに情熱を注いでいる「食育」への想いとともに、次回のコラムで紐解いていきます。















