
土井健大の野球人生に密着
2025年夏、第107回全国高校野球選手権大阪大会を激闘の末、大阪桐蔭を破り、14年ぶり夏の甲子園出場を決めた東大阪大柏原高校。
その快挙を率いる土井健大監督の野球人生を紐解くインタビューコラム、第2話をお届けします。
前回は、やんちゃな野球少年だった幼少期に迫りましたが、今回はその野球人生を決定づけたといっても過言ではない、高校野球時代にスポットを当てていきます。
ライバル前田健太との出会い
土井監督は中学時代から一気に全国の舞台へと駆け上がります。
わずか10人しかいないチームのキャプテンとして、まさかの全国大会出場。
「自分がホームランを打って勝つスタイル」と振り返る快進撃の裏には、運命的な出会いがありました。
それが、後にメジャーリーガーとなる前田健太投手との対戦です。
全国大会の初戦で、当時名門・忠岡ボーイズのエースだった前田健太と対戦。
「それまで三振なんか無かったのに、自分だけ4打数ノーヒット」と、その実力に圧倒されたと語ります。
しかし、試合後、前田健太からかけられた「お前ライバルなるなぁ」の一言が、土井監督の心に火をつけます。
この一言から「スイッチが入った」と語るように、土井監督の人生において、この出会いがその後の礎となったのです。
履正社高校での壮絶な日々が育んだ指導者の信念
中学時代に築いた実力と自信を胸に、土井監督は履正社高校への進学を決意します。
周囲から「お前みたいなのが高校野球できるわけない」と反対されても、「もう決まっているから」と猛勉強に励んだという意外な一面を明かしました。
しかし、名門校での日々は想像を絶するものでした。
同級生のミスは連帯責任、冬場のウサギ跳びは過酷を極めました。
しかし、土井監督は「あのウサギ跳びで本当に脚力がついた」と語り、厳しい環境の中で培われた「何クソ精神」こそが、自らの野球人生を支える強固な土台になったと強調します。
そして、高校時代には幾度となく因縁のPL学園と激闘を繰り広げます。
高校1年の夏に敗北を喫して以来、リベンジを誓い続け、ついに近畿大会でコールド勝ちを収め「PL倒して甲子園」という夢を実現させました。
「人間は環境や出会いで変われる」
かつて「ブラックリストに入ってる」と呼ばれた自身が、指導者として甲子園に導く立場になった。
次回は、土井健大監督が高校卒業後、プロ野球界へと進んだ衝撃のエピソードを深掘りしていきます。
第3話に続く>>>